「奥の細道」の俳句から天気図を再現! 日本人の多くに親しまれている芭蕉の「奥の細道」。江戸から最終地・大垣までの5カ月の旅で詠まれた俳句には、晩春から秋までの気象変化が巧みに記されている。これらを気象の観点から捉えるとどうなるか。「その時降った雨が梅雨の雨なのか、夏の夕立なのか」「この晴れは梅雨の晴れ間なのか」「海は荒れているのに空に天の川が見えるのはなぜなのか」……。長年にわたりNHKのお天気キャスターを務めた気象予報士の草分けである著者が、芭蕉の俳句に込められた季節感を天気図で再現しながら読み解いていく。新鮮な「奥の細道」を浮かび上がらせる実験的試み。 *本書目次より抜粋 はじめに 第1章 江戸時代の気候と旅の準備 第2章 深川からの旅立ち 第3章 松島から平泉へ 第4章 初めての日本海の旅 第5章 旅の終わりの北陸へ 第6章 気象と季語 2100年の奥の細道の気象 あとがき 参考文献
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人間の生とは何か、そして死とは?来世など期待せず、今いる世界で納得のゆくように生きる。そのためには理想を喪失したまま漂流する現代についてよく知らなくてはならない。野放しになった欲望、壊れかかった民主主義、言葉に踊らされる人々。一人の俳人が癌の宣告をきっかけに人間の生と死について考えた思索の記録である。
文豪たちの俳句は、どこか違う。いや、かなり違う。それをさすがと言うべきか、やっぱり変と言うべきかーー。尾崎紅葉、森鴎外、夏目漱石、内田百けん、幸田露伴、横光利一、室生犀星、宮沢賢治、永井荷風、芥川龍之介、泉鏡花、太宰治、川上弘美……。著者は、近現代の小説家が詠んだ摩訶不思議で奥深い俳句の数々を、ときに芭蕉、虚子といった俳人の名句と比較しながら詳細に読み解いていく。俳句愛好家、小説好きにはもちろん、教養書としても満足の一冊。 【各氏推薦!】 ◆ロバート キャンベル氏(日本文学者) 心を打つ日本語のあらゆる表現の核心に俳句があることを初めて心得た。目の前の風景が深くグッと美しい色に塗り替えられる愉快な発見であった。 ◆小川洋子氏(小説家) 俳句に光を当てれば、文豪の秘密が見えてくる。その何と魅惑的なことか。 ◆夏井いつき氏(俳人・エッセイスト) キシモト博士の作品論的、作家論的アプローチが文豪を裸にしてしまった!
なぜ、俳句は大のオトナを変えるのか!?「いつからでも入門できる」 「俳句は打球、句会が野球」「この世に傍点をふるようによむ」──俳句でしかたどりつけない人生の深淵を見に行こう。芥川賞作家で俳人の著者が放つ、スリリングな入門書。 <ラグビーや相撲は中年をすぎたらもう出来ない。野球をするのも、けっこう大変だ。俳句はいつからでも入門できる。そして、その入門する世界は「五七五」や「季語」のもたらす醍醐味をひっくるめ、もっと大きな混沌と豊饒さをたたえて、皆さんを待っている。>(はじめに より)
江戸時代後期、社会と文化の大衆化を背景に、俳句の質的変化が起こった。日常語によるわかりやすさと個人の細やかな心理描写は、芭蕉と蕪村の時代にはない句を生み出す。俳句編第二巻の本書では、一茶に始まり、子規、虚子、楸邨、龍太へと継承されてゆく近代俳句を取り上げる。大岡信の読みとともに学ぶ俳句クロニクル。
日々のささやかな驚きや心動かすものが、人を生かす力にもなる。「私はそれを古今の詩の中に求めてみたい。」その希望を胸に編まれた、詩人大岡信のライフワーク『折々のうた』。万葉集をもしのぐアンソロジーを「俳句」「短歌」「詩と歌謡」に再編集して贈る全五巻。本巻は、芭蕉をはじめとする古典主義俳句を収録する。
東に新聞俳壇あれば、投句する。西に公募俳句大会あれば、応募する。趣味としての投句を「日曜俳句」と名づけ、その魅力を著者は縦横無尽に語る。誰も知らなかった「日曜俳句」の楽しさ、可能性。ノウハウやポイントだけでなく俳人も驚くエピソードも。あるようでなかった入門書が、ここに。人生を百年生きて、俳句あり。
かつて『怖い俳句』で「俳句が世界最恐の文芸形式だ」と書いた。なのに俳句より怖さで劣る『怖い短歌』を編むのかという声が聞こえる。たしかに瞬間、思わずぞくっとする感じでは俳句にかなわないかもしれないが、言葉数が多くより構築的な短歌ならではの怖さが如実にある。総収録短歌593首(見出しの短歌136首)を、「怖ろしい風景」「向こうから来るもの」「死の影」「変容する世界」「日常に潜むもの」など9つの章で構成し、「怖さ」という見えない塔をぐるぐると逍遥【ルビ:しようよう】(そぞろ歩き)するかのような奇想の著。
花鳥風月を詠む優雅な趣味の世界ーー。これが俳句のイメージだろう。だが、日々の小さな発見を折に触れ書き留められるところにこそ、俳句本来の魅力がある。本書では、俳人にして単身赴任中のサラリーマンでもある著者が、「飯を作る」「会社で働く」「妻に会う」「病気で死ぬ」などさまざまな場面を切り取りつつ、俳句とともに暮らす生活を提案。平凡な日常をかけがえのない記憶として残すための俳句入門。
愛らしい姿に「この美しい生き物がそばにいることの奇蹟と幸福」をしみじみ感じることはありませんか。ときに猫は人生の何よりのなぐさめになります。かわいい猫をバッグに忍ばせ、どこへでも連れて行くことができたら、どんなにいいでしょう。現実の猫は狭いところに押しこめられて移動することを嫌うのでとても無理ですが、本書ならそれが可能です。147の表題句のみならず数百の引用句のすべてが猫・猫・猫。どのページから読み進めても愛らしい姿を見せます。猫好き、俳句好きのための前代未聞の猫アンソロジー。
1895年。夏目漱石は俳句を教わるという名目で、結核が見つかり意気消沈する正岡子規を松山に呼び寄せた。子規が得意とする俳句を通して、彼を元気づけるために……。第一高等中学の同窓生である2人は、意見を戦わせながら新たな表現を模索した。本書は、そんな「文学者の友情」を描きながら、子規が俳句・短歌に持ち込んだ「写生」概念の成立過程を解説。また、子規が病床で描いた随筆『墨汁一滴』『病床六尺』『仰臥漫録』にも焦点を当て、そこに通底にする写実主義を読み解く。【目次】はじめに/第一章 子規、漱石に出会う/第二章 俳句と和歌の革新へ/第三章 従軍体験と俳句の「写実」/第四章 『歌よみに与ふる書』と「デモクラティック」な言説空間/第五章 「写生文」における空間と時間/第六章 「写生文」としての『叙事文』/第七章 病床生活を写生する『明治三十三年十月十五日記事』/第八章 生き抜くための「活字メディア」/終章 僕ハモーダメニナツテシマツタ/おわりに
世界最短の詩文学・俳句。これがハリ治療のハリのように心や精神の凝りやよどみをほぐしてくれます。気に入った句があっても無理に憶える必要はありません。なんだか心に力が湧かないとき、ほっこりしたいとき、癒されたいとき、打ちのめされたとき、夢見る気分に浸りたいとき、誰かにそっと背中を押されたいとき……ここで紹介される総数1000を超える俳句の中に、きっと言葉のハリが向こうからあなたの心に突き刺さる一句があります。
「俳句でもやろうか」。メンバーは毎度の飲み仲間。軽いノリで句会を開いたら、これが滅法おもしろい。マルを獲得したときの天にも昇る喜び。バツを食らったときの激しい落ち込み。容赦ない酷評と爆笑が飛び交う講評タイムーーもともと「座の文芸」と言われ、仲間が集い、一巻の作品を完成させることからはじまった俳句。肩書き抜きで知的コミュニケーションをたのしめる句会は、中高年には格好の遊びである。知識不要、先生不要。ともかくはじめてしまえばいい。「一回だけのつもりが早八年」の体験を通して綴る、素人句会のすすめ。
世界最短の詩文学・俳句は同時に世界最恐の文芸形式でもあります。日常を侵犯・異化するなにか、未知なるものとの遭遇、人間性そのもの……作品の中心にある怖さはそれぞれですが、どれも短いがゆえに言葉が心の深く暗い部分にまで響きます。一句二句、暗唱して秘められた世界に浸ってみてください。不思議なことに、そこはかとない恐怖がやがてある種の感動へと変わるはずです。数々のホラー小説を手がけ、また俳人でもある著者が、芭蕉から現代までたどった傑作アンソロジー。
俳句は風流な「お芸術」でも自己表現でもなく、最高のスリリングな言語ゲームだ。知識ゼロでも楽しめる句会の開きかたから、「季語は最後に決める」「口語より文語で作るほうがラク」といった目からウロコの作句法まで、きれいごと一切抜きで書かれたラディカルな入門書。
著名俳人が残した句だけが、俳句のすべてではない。俳句は、生活の中の間合いとして、その人の私的な想いを吐露する瞬間にこそ、本来的な意味を持つのである。異なる分野で活躍した6人の巨人たちの、人生の機微とはいかなるものだったのか。俳句から、まったく違う巨人の姿が見えてくる。